一見華やかな世界に生きる遊女たち、もとは人身売買で連れてこられた少女!?

(『風俗三十二相』「しなやかさう」月岡芳年 画)

華麗なファッションに身を包んだ遊女…

ものすごい数の髪飾り!

しかも超高級なべっこう製。

まさに「高値の華」という表現がぴったり。

華やかな身なりでキラキラしているのだが…

しかし、遊女のほとんどは、

借金のカタなどとして妓楼に売られた女性なのだ。

例をあげると、

・農村・漁村などの貧しい家庭の親が、生活難のため娘を妓楼(ぎろう:遊女を置いて客を遊ばせる家。)に売る

・貧しい下級武士の家の親が生活難のため娘を妓楼に売る

・不況や事業の失敗などで没落した商家の親が借金のカタに娘を妓楼に売る

・悪い男にダマされて若い娘が妓楼に売られる

など…平たくいえば人身売買だ。

表向きは幕府も人身売買を禁じていたため、「遊女は妓楼で働く奉公人」ということになっていたが、それはあくまで建前。

実際には、女衒(ぜげん)と呼ばれる“人買い”に親や親類、時には夫が娘や妻を売り渡していた。

江戸市中の場合は女衒を使わず直接、妓楼に親らが娘を売ることもあったという…

今回、そんな遊女たちの悲惨すぎる一生を紹介しよう…

 

(『成形図説』より/白尾国柱ら 著)

江戸時代の農村の様子。

江戸から遠い農村・漁村の場合、女衒が家々を周って少女たちを買ったそう。

身売りされる年齢と金額が

どれくらいだったかというと、

幼女の場合は7~8歳(時には5~6歳)、

もう少し大きくても10代前後の少女だったそう。

金額に関しては、

出自によりピンキリだったようだが、

農村部での場合、

3~5両(現在のおよそ30~50万円)で幼女を女衒が買ったという記録がある。

下級武士の場合だと、

18両(およそ180万円)で娘が買われたという記録も。

いずれにせよ、

現代人からみると理解しがたい話だが、

当時の事情は知るよしもなく、安易に批判できない。。

彼女たちは、

「吉原へ行けば毎日白いおまんまが食べられるし、きれいな着物が着られるよ」

と女衒に言われたり、

「これも親孝行だと思って堪忍しておくれ…」

と親たちに言われたりしながら、

泣く泣く吉原へと売られていったのだ。

吉原へ売られてくる女性のなかには、

すでに遊女として働いていた玄人(プロ)の女性たちも存在した。

前述したように、吉原は幕府公認の遊郭だ。

でも江戸には吉原以外にも

「岡場所」と呼ばれた売春エリアがあり、

幕府非公認、つまり非合法の遊女(私娼)が色を売っていた。

 

 

 

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