明石家さんま(あかしやさんま、1955年7月1日 – )は、日本お笑いタレント司会者、元落語家。本名は杉本 高文(すぎもと たかふみ)。和歌山県東牟婁郡古座町[2](現・東牟婁郡串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。吉本興業所属。

元々は落語家を志して2代目笑福亭松之助の弟子となり、笑福亭さんま[3][4]となるが、師匠の推薦でお笑いタレントに転向。明石家さんまとして1970年代後半から現在まで芸能界の第一線で活躍を続けている国民的お笑いスターの1人。日本のお笑いBIG3の1人。

明石家さんまと山口組幹部との密接交際が発覚した。

山口組分裂のニュースが巷を騒がせているが、かつて、明石家さんま(61)や間寛平(67)といった、そうそうたる芸人たちが、山口組と深い交流をしていたことを物語る写真の数々が発掘され、話題を呼んでいる。

これらの写真が掲載されているのは『烈?外伝』(サイゾー刊)。同書は、三代目山口組の中でも屈指の武闘派と言われた加茂田組の組長・加茂田重政親分が所有する写真を中心に、70~80年代に活動した昭和のヤクザの実像を伝えているビジュアルブックだ。加茂田親分は、「史上最大の抗争」といわれる山一抗争で、一和会の最高幹部として勇名を馳せた大物極道である。それゆえ、今回明らかになった写真の数々も目を引くものばかりだ。

また加茂田組は、地元・神戸市番町で毎年「地蔵盆」と呼ばれる、地域住民を巻き込んだ盛大な祭りを開催していたが、そこには、吉本興業の大物芸人たちが次々と訪れ、人々を楽しませていったという。

「『烈?外伝』には、間寛平や坂田利夫B&B月亭八方らが加茂田組の地蔵盆に参加していたときの写真が掲載されていますが、それもほんの一握りです。実際には、吉本興業が組織を上げて、加茂田組といい付き合いをしていた。明石家さんまに至っては、加茂田家親族の結婚式の司会までしていますからね。ヤクザとの交際や商取引が半ば公然として認められていた、牧歌的な時代だったといえます」(『烈?外伝』の制作にかかわった関係者)

ヤクザと住民と芸人が一緒になって祭りで盛り上がる――ヤクザが反社会的勢力と位置づけられ、暴力団排除条例によって、芸能界も一般社会も彼らと接点を持つことすら許されなくなった今日では考えられない風景である。

 

2011年には、島田紳助が山口組幹部との交際を認めて芸能界を引退したが、水面下で裏社会との交流をひっそりと続ける芸能人は今でも少なくないといわれる。『烈?外伝』に収められた40年前の社会と現在は何が違うのか? なぜ、ヤクザは社会から排除されるようになったのか?

おなじみの出っ歯を見せて、加茂田組幹部の横で微笑むさんまの姿を見ると、そんなことを考えさせられてしまうだろう。
—(デイリーニュースオンライン:一部抜粋)

 

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